■「幸せ」について

こんにちは、出嶌達也です。久しぶりに長文で失礼いたします。



幸せという感覚はあくまで人それぞれなのですが、人間だれもが幸せになりたいと思っていますよね。


そして、みんないろんな考えをもちつつ、様々な手段を用いて、幸せを手に入れようとしています。


そして、幸せを感じたあとに、今度はその幸せが続いてほしいと願います。ところが「持続的な幸せ」までに至るにはなかなか難しいのが実情だと思います。 


人間の欲望は、「財欲,色欲,食欲,名誉欲,睡眠欲」などの5欲に分類できますが、どの欲望も、一旦満たされたとしても、また次の欲がムクムクと出てきてしまいます。


元々、欲(という現象)は自然から授かったものであり、必然性のある現象なのだと思います。これは単にそう思い込んでいる訳ではなくそう思う根拠が僕なりにあります。


僕は随分前から、宇宙創成から〜原子〜(中略)〜自我意識まで「カオス」という現象が担ったという見方をしてきました。その最初の宇宙創成段階からすでに欲(という現象)があったと考えています。つまり欲は人間だけのものではなく、そのような現象はもともと自然のものであると考えています。(ちょっと難しく脱線してスミマセン)


では、話を元にもどして、人間の欲をもういちど考えてみます。5欲のうち、「色欲,食欲,睡眠欲、」は一旦満たされると「もっと欲しい」という欲望に一定時間ブレーキがかかりますよね。


「色欲,食欲,睡眠欲、」は、報酬をもらう替わりにかける負荷が、生体へ直接かかるから、生体そのものに備わっているブレーキが働くのでしょう。生体の自動ブレーキとでもいいましょうか。


しかし5欲のうち、「財欲,名誉欲、」などはどうでしょう、、、


お金も、名誉もどんなに独り占めしても生体への負荷は少なそうです。このため、自動ブレーキはかかりにくそうです。だからとめどもなく、「もっと欲しい」状態を続けることが可能になるのではないでしょうか?


「もっと欲しい」状態は不満がずっと続く状態ですね。これでは「持続的な幸せ」にたどりつくどころか、持続的でない幸せにも気付くこともできません。


では、「持続的な幸せ」にたどりつくにはどうずればよいのでしょう?


たとえば、エスカレートしてゆく自分の欲求を、ひたすら満たしてゆくという生き方をしてみるとどうでしょうか?快楽主義とでもいいましょうか。


しかし、誰もかれもがどんどん自分の都合でひたすら欲を満たしてゆけば、「分け合えば足る物を奪い合う事で不足する」という事態がいたるところで発生するでしょう。今の世の中はこのような事態が多発していると思えます。


奪いあっている状況を想像してみてください。「持続的な幸せ」に至れないどころか、逆に社会不安を引き起こしてしまうことが容易に想像できます。


特に、お金と色と食べ物と名誉については、「分け合えば足るものを奪いあうことで不足しやすい」カテゴリーだと思っています。だからこれらは奪い合うほど執着すべきではないと思っています。


あと、睡眠欲が大きすぎると「眠れる森のおじさん」になってしまい絵にならない、、、というのは冗談(笑)ですが、、、実際は「酔眠欲」は「休みたい欲」と言い換えることもでき、やはり「休養」も分けあう必要性を感じます。


自分だけ楽を続けないで、他の人を休ませてあげる必要もあるということです。


ということで、自分の欲望がエスカレートするままに、ひたすらこれを満たす行動は好ましいとは思えません。では、どうすれば、本当の幸せにたどりつづけるのでしょうか?以下に4つの可能性を書き出しました。



1、まず最初に思いついたことは、「成長し続けること」でした。成長とは世の中に役立つ自分を育てるというようなことです。たとえ、もし今の自分が何の役にも立てないと思えたとしても、この先いつか「役に立てるようになることを目指し続ける」ということです。


ただ、成長し続けるためには常に試練と隣り合わせとなることでしょう。つまり楽なことではありません。でも元気な時にはこの心構えは良いと思っています。


2、次に、元気じゃなくてもできることはないかと思いました。誰でもできそうなことです。


それは、、、「幸せだ」と「思う」ことです。ただ「思う」ことは誰でもできますが、納得ができるほどまでに思えるには「思考の訓練」が必要でしょう。


3、さらに考えた事、、、「持続的な幸せ」や「幸せ」になることを諦めるということです。言い換えれば、そこに至る欲望を抑えるということです。これは禁欲主義といえるかもしれませんが、人間も自然の一部であり、欲は自然現象だと思うのでこれを抑えることは、とても困難ではあると思っています。


4、さらに、さらに考えた事、、、「幸せは人間が創り出した概念にすぎないと」
と考えるということです。人間は、「幸せという概念」を創り出してしまったがために、相対的に「不幸という概念」が生まれてしまったのではないか?


そのせいで、本来幸運であるかもしれないのにもかかわらず、他の「幸せ」と不必要な比較をしてしまい本来の「幸せ」を感じられなくなってしまったのでないか?そして対局にある「不幸」のレッテルを自分で貼ってしまっているのではないか?



以上のようにいろいろ考えてみて、上記1〜4の中に「持続的な幸せ」に至るヒントがあると思っています。確信的な答えにはまだ至っていませんが、答えへの近道は、2、の『幸せだと思える思考になる』ために、1、3、4、の内容が鍵となるものだと思えてきています。


ここまで幸せについて考えてみて、さらに以下のような考えが湧いてきました。ここ重要なので★印で囲いました!


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人間はまだまだ自分のことがわかっていません。私たちは、もっと自分の思考(心のメカニズム)を理解する必要性を強く感じます。さらに、群衆化したとき、パニックに陥ったときなど、様々な場面で心がどのように変化するのか十分勉強し、その場に応じた思考訓練をしておく必要があります。そして、自分を十分理解できたなら、それと同時に「小さな幸せ」から「持続的な幸せ」まで、全てが手に入る答えが見つかると思えてなりません。
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さて、僕のこんな考え、うまく伝わったかどうかわかりませんが、そんなことを年頭に思ったのでここに記しておきます。あくまで僕の見方ですが、、、



ps;
ちなみに、欲求も欲求にブレーキがかかる現象も、実は人間や生物だけに備わっている機能ではありません!あくまで僕の見方ではありますが、カオスの数式の中にこの現象を発見することができます。カオスは自然の根源的なメカニズムの一つと言われていますが、自然だけでなく人間の思考や行動にとても似ている部分を見いだすことができます。この内容は僕のイベント「数式に記された愛」で音や映像を用いて面白おかしく説明していきます。次回のイベント「数式に記された愛」はまだ未定ですが企画進行中ですのでお楽しみに!


僕の長〜い日記をご覧下さってありがとうございました。



















































































































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